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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信州のキリシタン】 前述の墓地にあった転切支丹類族墓石です。ここはかなり山の奥深いところですが、ここまでキリシタンの宣教師が入り込んでいたことは間違いありません。それにしても、非常に山深いところにある村ですが、現在の家数は、山奥の村にしてはかなり多い村です。 しかし、村々の何人かの方々とお話しした範囲では、この一帯にキリシタンがいたことは、まったくご存じないように思えました。こうしたことはよくあることです。関東地方でも、明らかに転切支丹類族の戒名が彫られている墓石が残っていても、多くの方々はそこにもキリシタンがいたことをご存じないケースがあります。 信州でも同じであろうかと思われますが、しかし、あまりにも不思議な場所でキリシタンの痕跡に出会った時には、大きなショックを受けました。しかし、そこでキリシタンの痕跡に出会うことによって、様々な疑問が解決しました。そして、そこにも高遠石工の作品であろうと思われるモノが残っています。現在の檀家制度が出来たのは、宗門人別制度が施行されたからであるということが忘れられていると、キリシタンの痕跡を見落としてしまうであろうと思います。 実は、大事なご報告があります。いくつかの事情があって、会津キリシタン研究所は東京に移転することになりました。一番の理由は、阿佐ヶ谷の駐車場の管理人の近くにいた方がいいということです。所長もそう思っていたようで、今回の上京はそれの下準備のためでした。小生の本を並べておく部屋を出来るだけ空にしたいと思っています。周囲の建物の関係で、午後の短時間だけしか陽が当たりません。そして、陽が当たる窓には厚いカーテンが掛けられています。ため込んでいた、民俗学の本をじっくり読んでみたいと思っています。なお、東京分室の住所は非公開にしています。お知らせすべき方には、メールもしくはお葉書でお知らせすることにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.01 13:42:22
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