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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【中通りの不思議な青面金剛石仏】 2011年12月15日、中通りのとあるお寺を訪ねました。ある方にこの青面金剛石仏のことをお伺いしていたからです。お寺の山門を入って、参道脇に祀られていました。上部に月と日が彫られていて、六臂で、下部に三猿が彫られていますから、青面金剛像であろうと思われます。そして、舟形光背の右側には「元文四丁巳天」と彫られています。 大護八郎氏は、こうした青面金剛石仏なども庚申塔の中に加えていらっしゃいますが、いくつか疑問があります。まず、元文四年は「丁巳」ではなく、「己未」の年です。ですから、翌年の元文五年が「庚申」の年になります。「丁巳」と「己未」を間違えるということは、極めて考えにくいです。そして、その下に、「年」ではなく「天」と彫られています。 もしかすると、庚申の年に建てたのを隠すために、わざと「丁巳」と彫ったのだろうかと思い、このお寺の裏山の墓地を歩いてみました。山門の手前にある広場のところにも、不思議な墓石が並べられていたのですが、墓地にも気になる文字列が彫られた墓石がいくつも残っていました。中通りでは、小生が見てきた範囲では、こうした気になる墓石の文字がほられている部分が破壊された墓石にはほとんど出会ったことがありません。 今朝はそれらの墓石を少しまとめてご紹介したいと思います。この一帯も蒲生氏郷が会津の領主だった時代には、間違いなく蒲生領だったところです。そして、このお寺だけでなく、この一帯にも飽き離阿寒キリシタンの痕跡が残っていますし、前述の不思議な石像が残っている神社がある村から、このお寺まで、それほど離れていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.05 07:51:15
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