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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津磐梯山】 これは去年の1月19日に、会津キリシタン研究所が入っている建物の屋上から撮った写真です。1979年に最初に会津に住みはじめて以来、晴れていれば、会津にいる時には、磐梯山が見えるところに住んでいました。しかし、磐梯山もキリシタンと関係があるとは思ってもいませんでしたが、様々なモノと出会い、様々な方からお話をお伺いする中で、磐梯山とキリシタンが関係があるということを考えざるを得なくなりました。 一つ残念なことがあるのですが、明治期に磐梯山が水蒸気爆発を起こしているのですが、それ以前の磐梯山の写真を見付けることが出来ないことです。会津若松市立図書館がまだ県立博物館の隣にあった頃、その写真が載っている本がないかと探しまくったのですが、遂に見付けることが出来ませんでした。当然のこととして、保科正之公がご覧になった磐梯山は、現在の磐梯山とはその山容が異なります。 特に頂上部がかなり異なっていたと考えられています。それは、江戸時代に描かれた磐梯山の絵と、現在の磐梯山とはかなり異なっているからなのです。江戸時代に描かれた絵では、山頂に三つの頂があります。現在はそのうちの一つしか残っていません。ただ、富士山にもそうした絵がありますから、江戸時代の絵は独立峰を描くときの手法なのかもしれません。 しかし、キリシタンとの関連が語られるのは、磐梯山の頂上部ではありませんから、それほど重大なことではありませんが、気になりはじめると何とか解明してみたいという思いが出てくるのですが、明治初期に正確な測量が行われていなければ、明治期の陸軍の地図も当てに出来ないだろうと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.07 12:33:35
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