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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の十字墓】 会津のとあるお寺の墓地にある十字墓ですが、中に双体仏が祀られています。左上の穴から撮った写真が2枚目で、3枚目は右側の穴から撮った写真です。2004年11月26日、この一帯をじっくり巡ってみようと思って、2食分の弁当を作って出掛けました。 この十字墓のことは知っていたのですが、しばらく前にてに入れていた小さな携帯用デジカメであれば中がとれるかもしれないと思っていましたが、何とかここまでは撮ることが出来ました。そして、伊那高遠へ出掛けるようになって、伊那高遠にもこうした十字墓に出会って、いくつかのことを考えざるを得なかったのですが、昨年、それに関することをお伺いすることが出来ました。 そして、いつもと同じように、「やはりそういうことか」と考えざるを得ませんでした。しかし、最後の結論部分に関する記録はまったく残っていません。しかし、それを傍証出来る記録は『会津藩家世実紀』の中に残っています。そして、キリシタンの時代のキリシタンのことを考えると、最早答えは一つしかないと考えるようになりました。 会津のキリシタン史は、日本の他の地域のキリシタンとは大きく異なっています。それは、寛永二十年以降、殉教したキリシタンがいないということです。しかし、寛文期に亡くなった方の墓石が、郡山市の「切支丹墓碑」と同じ形をしています。つまり、会津では、寛文期になってもキリシタンがかなり公然と活動していたことが明らかであるということが考えられます。保科正之公が会津藩主であられた時です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.08 15:12:24
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