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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【厳冬期の会津】 2010年1月14日、この写真に写っているものが、どれくらい雪に埋まっているかを見に行きました。道路を除雪した雪のために、ここまで埋まっていました。赤い帽子を被っているのは、ここでもご紹介したことのある「子安観音」石像です。 どうしても気になることがあったので、去年の秋にこの一帯を、何日か掛けて少しじっくりと巡ってきました。そして、伝承や史料から見えてきたことを確認してくることが出来ました。やはり、保科正之公は尋常な方ではありませんでした。おそらくそれは、ご自分の生い立ちを考えてのことであろうと小生は考えています。 お静の方は、保科正之公の前に、一度、徳川秀忠の子を懐妊されていましたが、出産することは許されませんでした。ですから、二人目を懐妊した時にも、同じことが求められたのですが、それを断固として拒否し、見性院の配慮で幸松を産むことが出来ました。ですから、こうした経緯を保科正之公はご存じであったのであろうと思われます。 「自分は生まれてくることはなかったかもしれない」と保科正之公がお考えになられたであろうと思われますが、それが、保科正之公の様々なご判断に影響しているように思えてなりません。小生は、「この子はあきらめて下さい」とお医者さんに言われたと亡母から聞かされたことがあります。それでも、亡母は小生を産みました。「育ちませんよ」とも言われたそうですが、それでも亡母は小生を育て続けてくれました。そして、亡母よりも長生きしてしまいました。正月に実家に帰った時、「行年四十歳」と書かれている位牌を確認してきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.08 21:16:04
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