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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【晩夏の磐梯山】 去年の8月26日に撮った写真です。猪苗代湖の湖水面の標高が500m程ありますから、猪苗代ではお盆を過ぎると秋が始まることが多かったです。小生が猪苗代に住んでいた時には、扇風機は壁掛型のが一つあっただけでした。夏でもそれで十分でした。窓を開けると、かなり涼しい風が吹き込んでくるので、エアコンがあるお店もそれほど多くありませんでした。 慶長九年(1609)に、岡越後守四郎右衛門左内という蒲生氏郷以来の蒲生家の家臣がこの猪苗代の城主になってから、この猪苗代がキリシタンの拠点になりました。そして、セミナリオも建てられました。このセミナリオが建てられていた場所に関しては、猪苗代に伝承が残っていました。もうかなり以前のことですが、その場所をある方から教えていただきました。 会津のキリシタンを研究し始める前のことでしたから、その場所と土津神社との位置関係を思い浮かべることはありませんでしたが、しかし、会津のキリシタンの研究を始めた頃に、かなり気になりはじめました。セミナリオというのは、今で言えばローマ・カトリック教会の神学校です。大学で「ゼミ」と呼ばれているものは、このセミナリオというラテン語からヨーロッパに広まったものです。そして、小生が知る限りでは、16世紀以降、日本にはセミナリオは5つしかありませんでした。 ただ、「神学校」と言っても、トリエント公会議以降のセミナリオは、現在の大学(ユニバーシティ)に近いものでした。つまり、神学と科学が同じところで学ばれていたと考えられるということです。この時は既に、天文学の成果を宣教師たちは知っていました。そしてその後に、日本に入って来た宣教師たちの中には、高等数学を身に付けていた人々がいたことも、歴史研究者によって明らかになっています。有名は野口英世博士は、そうした猪苗代で生まれ育った方でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.09 08:31:40
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