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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の弁才天石仏】 これは以前にもここでご紹介したことのある弁才天石仏です。とある神社の境内にあるのですが、この神社のことはかなり以前から知っていましたが、境内を歩いたことはありませんでした。ですから、ある方からこの石仏のことを教えていただくまで、ここにこの石仏が祀られていることをまったく知りませんでした。 この弁才天の着衣、極めて不思議なものです。袖が異様です。袂がありません。そして、肩から袖の部分までが一般的な和服とはかなり異なります。ですから、この石仏を見た見た時、小生は唖然としました。「何故こうした石仏が残っているのか」と思ったからです。おまけに、この弁才天は裸足ではありません。靴のような物を履いているように見えます。会津は殉教者が出ているところです。にもかかわらず、こうした像がほとんど無傷で残っています。 旧高遠藩領内を巡り続けて、こうした極めて不思議なことが、やっと理解出来るようになりました。会津には、舟形光背の外周部に枠が彫られている石仏がありますが、それらにも不思議な像が彫られています。おそらく同じ石工の作品であろうと思われますますが、高遠石工は会津のかなり広範囲で活動していたようです。 そして、保科正之公が会津藩主になられて以降も、高遠石工はこうした不思議な着衣に関する知識を継承していたということであろうと考えています。高遠石工のリストが載っている本を読みましたが、彼らの出身の村々にも、キリシタンの痕跡が残っていますし、高遠が伊那谷のキリシタンの拠点だったということを理解できる場所も、既に訪ねています。ですから、伊那谷はキリシタンの谷だったと小生は考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.10 16:51:12
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