|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【土津神社の謎】 土津様の墳墓です。この門から中へは立ち入り禁止になっています。2枚目と3枚目の写真は、門の左側から撮った写真です。3枚目のような写真を撮るために、基本的に18-135mmのズームレンズを使っています。2枚目と3枚目の写真は同じところから撮っています。 『会津藩家世実記』には、この墳墓の構造が記されています。そして、どのような資材を使って造ったかも記されています。関心のある方は、是非、『会津藩家世実記』をご確認ください。そして、その造りが古墳とはまったく異なっていることを確かめるために、古墳の造りもお確かめ下さい。小生は、いつか、この墳墓を造るために使った資材を調合してみたいと思っています。そして、それがどの程度の強度があるかも確かめてみたいと思っています。 そして一番の関心は、そうした資材を使うことを、会津藩がどうして知ったのかも非常に気になります。この墳墓は、地面を掘って棺を埋葬した後、土を盛り上げています。古墳は、石室を石で造ってその中に棺を入れ、その石室を土で覆っています。ただ、『会津藩家世実記』の記録には棺が寝棺であったか、座棺であったかは記されていません。鈴木尚『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』(東京大学出版会、2008年、東京)には、徳川秀忠の棺は座棺だったことが発掘によって明らかにされたと記されています。 しかし、延宝年間にこの墳墓のような墓が造られていたかどうか、それを確かめることが出来ていません。そして、「土津神墳鎮石」と彫られているこの石像物が墳墓の最上部に置かれているのですが、こうした墳鎮石に関してもそうした習慣が延宝期にあったかどうかもわかりません。ただ、この墳墓は非常に規模が大きく、かなり珍しいものであることは間違いなさそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.10 20:19:42
コメント(0) | コメントを書く |