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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:日本の未来
【3月11日】 2011年3月24日に撮った、鶴ヶ城の天守閣の写真です。あの年は、2月12日に南会津を訪ねた後、どこへもフィールドワークには出掛けていませんでした。そして3月11日。ただでさえ雑然としているこの部屋が、床が見えないほど本が散乱して、廊下の本箱が倒れて本が飛び出し、それから間もなく、原発事故。地震は体感できますが、環境放射線は体感することが出来ません。 テレビのニュースはわかりにくい言葉を使って誤魔化そうとしているのがはっきりしていて、頼りになるのは福島県のサイトにある放射線量の測定値だけでした。それから、このデータは保存しておいたほうがいいと直感して、様々なデータを集め始めました。これは現在も続けています。 伊那谷へ出掛けたときも、ホテルの部屋で夜、ネットにアクセスしてデータをダウンロードしました。それ以外に、現在は原子力規制委員会のサイトに、細かいデータが載っているので、多いときは一日に5回位、会津の放射線量を確認しています。浜通りの放射線量は尋常ではないところか何ヶ所もあります。ここでも書きましたが、半減期で放射線量が低下するのを計算すると、外部被爆が年間1ミリシ-ベルトになるところまで低下するには、240年もかかる値のところがあります。 これには内部被爆が入っていませんから、それを考えると300年程度は、人がすむことは出来ないということになるのですが、一番の当事者である東京とは、反原発を選択しませんでした。上京した折に、東京都が管理している大きな公園へ、線量計を持って出掛けたのですが、「ここへは孫は連れて来られない」という値を示していました。しかし、ポカポカといた日でしたから、芝生の上を子供たちが走り回っていましたし、ビニールシートの上で乳児がお昼寝していました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.11 08:22:23
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