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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:日本の未来
【2011年の秋】 これは金山町にある本名ダムを上流から撮った写真と下流から撮った写真です。まったく水を堰き止めていないのがお判り頂けるかと思います。そして、下の写真にはJR只見線の一部が写っています鉄橋を渡ると、すぐにトンネルがあります。この時にはまだ、垂れ下がったレールが残っていました。 最初の一撃が凄かったのであろうと思われますが、只見川沿いの村々は怖ろしかっただろうと思います。しかし、集中豪雨がいつ起きるかはほとんど予測できません。現在の10倍くらいの数のアメダスを日本全国に配置したら、多少は良くなるかもしれませんが、その程度では集中豪雨の雨量を予測できるかどうか判りません。 只見川は傾斜が非常に緩やかで、この写真を撮っている辺りで標高が500m弱しかありません。それで、只見川にダムを連続して建てることが出来ました。関心のある方は是非、国土地理院のサイトにある地形図でご確認下さい。 ただ、只見町にある田子倉ダムを建設するために、JR只見線が開通されました。江戸時代には、この只見川沿いの道は非常に険しくて、若松城下から伊南川沿いに行くには、低山帯のいくつもの峠を越えていく、「銀山街道」が使われていました。幕府の巡見使もその道を通っています。そしてその峠の一つは美女峠と呼ばれているところで、山道は現在も残っているようですが、車は通ることが出来ないそうです。あの「美女」がどういう女性だったのか気になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.11 19:34:55
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