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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:キリシタン
【2007年6月11日】 前回の2枚の写真に写っているところから、少し上流で撮った写真です。撮ったのは2007年6月11日でした。ダム湖の水がゆっくり流れていました。2011年の大洪水よりも前には、只見川沿いの国道を走っていくと、こうした風景が見えていました。 ウィキペディアで只見川全域の発電所を解説していますから、関心のある方は是非、お読みください。この只見川の電源開発で戦後の日本が発展したことがはっきり解ります。関東地方は極めて平坦な平野ですから、ダムを造ることが出来ません。ですから、栃木県や群馬県の北側にある只見川にダムが造られました。そして、同じ福島県の浜通りに原発が建設されました。事故が起きる前には、「電源立県」という言葉が聞こえてきたこともあります。 また、会津でダムがあるのは、只見川だけではありません。猪苗代湖の水も発電用に用いられていますし、裏磐梯の三つの大きな湖の水も発電用に用いられています。 こうしたダムを建設するために、2回移動した村があります。2回目はダムの水位を上げるために、それまでよりももっと高いところに移動しました。墓地には、江戸時代の墓石が残っていますから、墓石も一緒に移動したのであろうと思われます。2001年に訪ねた時に、村の年配のご婦人からお伺いしました。 また、江戸時代には会津藩領だったところで、現在は新潟県になっている山の中の村々で、ダム建設で村が高台に移転したところがありますが、途中で建設計画が中止になり、移転した村々はそのまま移転したところにある沢もあります。何故、建設が中止になったのかは、地元の方もご存じではありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 07:28:02
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