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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【只見川の歴史】 只見川の下流に架かっている橋の上から、2011年12月7日に撮った写真です。この只見川沿いの道は、戦後になって大分整備されましたが、江戸時代にはかなり大変な道でしたから、昨日、ここに書いた「銀山街道」が主要道でした。そして、銀山街道の途中で北上して只見川沿いの村々へ行く路がありました。そうした路の中には、現在は車で移動できる路がありますが、「銀山街道」は一部区間は、ひとが歩くことも難しいです。 こうした只見川沿いの村々には、あるいは「銀山街道」と只見川の間にある村々の中には、蒲生氏郷が会津の領主になるまでは武装集団だった村が多く、そうした村々は、鎌倉時代から只見川一帯を支配していた山内氏の家臣団がいました。このことは、『新編会津風土記』にも記されていますが、その内容を村々を訪ねて、ほぼ事実であることを確認しています。 彼らは、蒲生氏郷の家臣にはなりませんでした。しかし、それでいてキリシタンの痕跡が残っています。あるいは伝承も残っています。小生も、もう10歳若かったら、この部分に関する史料を徹底的に分析した已と思っていますが、還暦を過ぎたら、体力が激減しています。フィールドワークよりも、ここで史料と格闘する方が体力が必要なことを痛感しています。 下の写真の右岸に道が写っていますが、かつては生活道路だったところです。只見線の列車の時刻に合わないと、小学生の頃はこの道を通ってある家々に帰ったとおっしゃっていた方がいました。一度、車で走ってみたいと思っていたのですが、「危険だから絶対に行かない方がいい」と言われて諦めました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 08:03:10
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