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カテゴリ:キリシタン
【歴史研究】 会津の民話の中で、「会津がまだ海だった頃」で始まっているものがあります。この冒頭の部分だけで、最近になって創られた民話であることが判ります。会津で古い時代の化石が発掘されたのは、それほど古い時代のことではありません。江戸時代も含めて、戦前の人々は、日本列島は隆起して出来たということを知りませんでしたし、その隆起がユーラシアプレートの下に太平洋プレートが潜り込むことにとって起こったということは、戦後しばらくして一般的になったことです。 歴史研究では、史料だけでなく、こうした民話も大切な資料として考えます。「昔話だから」ということで無視しません。ただし、こうした「民話」が何故創られたのかは、徹底的に考えます。そして、「会津がまだ海だった頃」に流れ着いた仏像と続いているので、これを古いものだと言いたいのであろう気が付かされます。ただ、それまでにも、会津の標高の高いところで貝の化石などが発掘されていますから、会津は現在の地形のまま隆起したと、この民話の作者は考えていらっしゃったのかもしれません。 テレビのニュースでは、何故か流れなかったようですが、会津のとある尾根の高いところで水蒸気爆発が起こっています。地元の方は「噴火」とおっしゃっていましたが、間違いなく水蒸気爆発です。ただし、極めて小規模なものだったので、ニュースにならなかったのかもしれませんが、その水蒸気爆発があってから、それほど日数が経っていない時に、そこが見えるところを訪ねた時に、地元の方からお伺いしました。 この写真は、前回の写真を撮ったところから、只見町方向を撮った写真です。「只見」というのは、空海が柳津から只見付近に出掛けて、「ただ見て帰ってきただけ」ということから「只見」と付けられたと言われていますが、これも空海伝承ですから、そのまま受け容れるわけにはいきません。空海が日本全国を行脚しているとされるほど、日本のあちらこちらに空海伝承が残っていますが、空海が行脚できたとすれば、長安から帰ってきて、高野山に入るまでの2年間のうち、1年だけだとも言われています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 10:17:21
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