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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【只見川沿いの石塔】 只見川沿いの、とある村の神社の境内にあった石塔です。どちらも慶應元年に建てられていますが、「年」が「歳」になっています。「湯殿山」も「飯豊山」も修験道の山です。おそらく、この村にも修験道が伝わってい他のであろうと思われます。ただ、「慶應元歳」は1865年です。戊辰戦争の3年前です。 会津ではこの頃にもキリシタンが残っていたことが確実な出来事が、会津にありました。それは、長崎で起こったことと同じことです。ただ、そうしたことは伝承として残っているのですが、会津のキリシタンに関する研究書にはまったく記されていません。それが起こったのは明治期になってからです。 ただ、若松城下や、戊辰戦争の後で帰農した家々には伝承が残っていたのであろうと考えられる墓誌に出会ったことがあります。ここでご紹介したかったのですが、個人のお名前が出てきてしまうので諦めました。しかし、小生の中では、記憶が薄れてしまうまで、あの墓誌に書かれていることは消えないだろうと思っています。 会津のキリシタンは、そうした意味では非常に興味深い情況にあったということが出来ます。ただ、墓石に彫られた文字列が切削された頃に、伝承はすべて潜ったと思われます。ですから、そうした伝承をご存じの方は、まだまだ大勢いらっしゃるだろうと思います。いつか、そうした伝承が自然に浮かび上がって来る時をひたすら待ち続けています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 11:30:51
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