|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【只見川沿いの被破壊石仏と首無し地蔵】 前述の石塔がある村にあった被破壊石仏と首無し地蔵です。日本の各地に、こうした石製の像が多数あるのですが、そうした石仏や石像はすべて仏像だと考えられています。しかし、本来は石製の仏像はなかったようですが、これらの石仏や石像は、非常に不思議なものです。 この写真でははっきりしませんが、上の石仏ははっきりとした十字が彫られています。そして、2体の首無し地蔵は着衣にプリーツが入っています。これらの石仏や石像を見たあとで、この村の墓地を歩くと、これらの石仏や石像が明らかにキリシタンのものであると考えざるを得なくなります。特に下の写真の石像の着衣は極めて珍しいものです。 こうしたことや、村の方にお伺いした話の内容を考えると、この村の歴史が見えてきますが、帰ってきてから、史料をデータベースを確認すると、「やはりそうか」と思わざるを得ませんでした。 会津でのフィールドワークはこうしたことの連続でした。ですから、10年以上それを続けてきて、最後に考え付くことは一つしかなかったのですが、それに関する伝承がやはり会津に残っていました。この伝承を会津のキリシタンを研究し始めた頃にお伺いしていたら、「まさか」で終わっていたと思います。しかし、その伝承をお伺いした時には、感動しました。日本語で書かれた資料からだけでは、まったく見えてきませんが、しかし、その伝承はせえいかくであると仮定すると、『会津藩家世実記』に記されている不思議な記録をすべて解決することが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 13:36:33
コメント(0) | コメントを書く |