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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な千木】 引っ越し荷物を作るのに疲れたので、26日に出掛ける辺りで撮った写真を見直していたら、今ごろになって気が付きました。これは会津のとあるお寺の山門です。お寺は何回か火災に遭っているようですが、この山門は江戸時代に初期に建てられたものが残っていると案内板に記されていました。 この茅葺きの屋根の上に千木が取り付けられています。こうした千木は、神社にある本来の千木とは異なっていて、ラテン十字形をしていますし、取り付けられる場所も異なっています。『新編会津風土記』にある記述や、このお寺に残っているモノが気になっていたのですが、また「やはりそういうことか」でした。 これと同じ形式の千木が伊那谷でも、高遠城趾からそれほど離れていないところに残っているケースを、ここで何回かご紹介しました。まさかここにもあるとは思ってもいませんでしたから、この写真を撮ってから7年も経って、気が付きました。 宗門人別制度が会津で施行されたのは、寛永二十年に保科正之公が会津藩主になられてからであろうと小生は考えています。彫られている年号で、その墓石が確実に古いと思われる墓石は、すべて「寛文」と彫られたものです。「寛永五戊辰年」と彫られた墓石が、とある村の墓地に残っていますが、その墓石はほとんど風化していません。あるいは「慶安」と彫られた墓石と「延寶」彫られた墓石が並べて建てられているがありますが、前面に彫られた文字列は戒名とは思えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 17:21:40
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