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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の銀山】 会津にあった銀山の一つです。この写真を撮ったのは2007年でしたが、最初にここを訪れたのは、1997年だったと記憶しています。この1997年に訪れた時には、坑道の入り口が見えていましたが、2007年には埋められていました。 この銀山は、『文禄三年蒲生家高目録』では、後に猪苗代城代になった岡越後守四郎衛門左内の領地でした。そして、江戸時代に書かれた文書の中に、この岡越後はかなりの金銀を所有していたと書かれているのですが、しかし、私腹を肥やしていたわけではなく、戦費を蓄えていたのであろうと思われます。 ただ、それだけのことであれば、あまり気にならないのですが、何故、岡越後守四郎衛門左内がこの銀山を領地としていたのかに、深い関心を持たざるをえません。金は、金鉱石から金だけを取り出せばいいのですが、銀は銀鉱石を精錬しなければなりません。この精錬技術に関して、新しい方法を日本に持ち込んだのはキリシタンの宣教師たちでした。 また、鉱山学にも長けた人物もいましたから、そうした人物を岡越後が知っていたとしても不思議ではありません。岡越後が猪苗代城代だった時に,猪苗代にセミナリオが建てられています。そして、この岡越後は独身であったという説があります。この説の根拠となる文書が示されていないので、断定することは出来ませんが、元和八年(1622)に猪苗代で殉教者が出たあとのことを考えると、これも気にならざるを得ません。若松城下で処刑されたとする説もありますが、処刑されたことにした可能性が十分にあると小生は考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.12 19:50:15
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