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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信夫山の棕櫚の木】 信夫山にも棕櫚の木がありました。切支丹と関連するようなものがあるところで、棕櫚の木に出会ってきました。埼玉県のあるところでは、渡り鳥が種を落としたと書かれた説明板が建てられていましたが、渡り鳥はキリシタンの痕跡を知っているのでしょうか。 京都に残っている扇で、三層の建物の庭に宣教師がいる絵が描かれたものがありますが、あの絵にも棕櫚の木が描かれています。あれなどは間違いなく宣教師が種を蒔いたのであろうと思われます。プロテスタント教会ではそうした習慣のある教派は少ないですが、ローマ・カトリックなどでは、棕櫚の日曜日に棕櫚の葉を使っていました。棕櫚の葉で十字架を作るのですが、翌年の灰の水曜日の前にそれを教会にお返しして、教会はそれを燃やして灰にしたもので、信徒の額に十字の印を記します。 日本的に言えば護符なのですが、棕櫚は聖書の中では非常によく知られている植物ですが、それを作るために、あの扇の絵のお御堂の庭で棕櫚の木を育てていたのであろうと思われます。そして、ここは福島市です。白河や郡山や二本松と比べると、栗子峠を越えて雪雲が入ってくるのか、雪が多いところです。そこで、自然に棕櫚が生えたとは思えません。 山梨県のとある城跡にも棕櫚が生えていました。確かここでも写真をご紹介していると思いますが、あの城の城主だった人物の墓には、大きな十字墓が残っています。ここでもご紹介した、穴山家の墓です。そして、穴山信君(梅雪)の妻が、お静の方と幸松を預かった見性院です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.14 17:35:24
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