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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【穴山家の墓】 この宝篋印塔はここでご紹介したことがあります。ただ、後ろに建てられている案内柱の文字は暈かしていました。所謂「戦国大名」の墓石が宝篋印塔であるケースは、他にもありますが、彼らもキリシタンであったのであろうと考えられます。ですから、会津では宝篋印塔の名残が残っている五輪塔が建てられているのであろうと思われます。 そうした墓石の中には、五輪に一文字ずつ本名が彫られている五輪塔もあります。穴山梅雪に関しては、キリシタンの文書に「洗礼を受けたがっている」ということが記されていますが、天正十年(1582)に京都から甲斐へ逃げた時に、京都府京田辺市で殺されています。しかし、家臣団の中に、ラテン語の洗礼式文を暗誦していた人物がいた可能性は十分にありますから、緊急洗礼を受けていたであろうと小生は考えています。 この穴山氏の墓があるお寺の一帯にもキリシタンの痕跡があることを既に確認しています。山梨県も凄いです。そこら中にキリシタンの痕跡が残っています。関心のある方は、国道二十号線沿いや甲府盆地北部の高いところにあるお寺を訪ねて、墓地を歩いてみて下さい。数多くの十字墓が残っているところもあります。 穴山梅雪が緊急洗礼を受けていることを知っている家臣団が、後になってこの宝篋印塔を建てたのであろうと思われます。上部の九輪の部分は新しいものですが、それ以外は古い形式を残している宝篋印塔です。あでも、蒲生氏郷の絵が残っているお寺の境内に建てられている小さなお堂の中に、古い形式を残しているそれほど大きくない宝篋印塔が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.14 21:59:37
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