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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「愛宕神社」】 前述した愛宕神社にあった石祠です。祠はありません。石祠があるだけです。そしてその1基には、錫杖を手にした地蔵菩薩像が祀られていました。こうした事例を「神仏混淆」と考えていらっしゃる方もいますが、小生にはそうは思えません。一般に「神仏混淆」と言われているのは、お寺の境内に神社が建てられていて、その祭祀をお寺のご住職がするケースです。 そして、神社は像を御神体にはしません。会津では、御神体が像であるケースに出会うことがありますが、実に不思議なことです。そして、神道に教理はありません。祭祀そのものが信仰だからです。ですから、神社によってお参りの仕方が微妙に異なっていることがあるわけです。 もう一度、この愛宕神社を訪ねてみたいのですが、今はまだどんなに少なくても、これらの石祠は半分以上雪に埋まっているだろうと思います。そして、最近になって、神道の研究者からお話をお伺いすることが出来たのですが、神道で葬儀をするようになったのは、それほど古い時代ではないようです。ですから、その研究者の方は、土津神社に非常に関心を持たれたので、『会津藩家世実紀』にある保科正之公の葬儀に関する部分をコピーしてお送りしました。東京分室からそれほど離れていないところにお住いなので、これから時々お会いできるだろうと思っています。 もう少ししたら、東京分室へ出掛けます。荷物を運び込めるスペースを作ってきます。来週の日曜日には帰ってきますので、帰ってきたらこの部屋の本をすべて箱詰めする作業を始めます。先日、整形外科のお医者さんから、腰の痛み止めを処方していただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.15 07:32:34
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