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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「聖徳太子」像】 これは、これまでにも何回かご紹介したことのある「聖徳太子」像ですが、とある村のお寺の境内にある「太子堂」に祀られています。先日、ある方をここへご案内しました。ここを最初に訪れたのは、2001年でした。その後2004年にここを訪れて、写真をかなり撮ったのですが、その時にも気が尽きませんでしたが、写真にははっきり写っていました。 そして、2006年にもここを訪ねたのですが、ある方がこの聖徳太子像をご覧になって、「ここに十字架があるじゃない」と大きな声でおっしゃったので、慌てて中に入って、その方が指さすところを見たら、はっきりと十字架が見えました。その日、会津キリシタン研究所に戻って、それ以前に撮った写真を見たら、確かに十字架が写っていました。 「まさか、こんなところに」という思いが小生の中にあったのだろうと思いますし、光を斜めに当てないと見えにくい突起部の小さな十字架が彫られています。近いうちにもう一度訪ねて、斜め下からストロボの光を当てたり、厨子の内壁に反射させて撮ってみたいと思っています。 そして、2006年にそのお寺の墓地で撮った写真を見直したら、「そういうことか」とまた思わされました。あのキリシタンは宗門人別制度に組み込まれても、キリシタンの信仰と習慣を保ち続けていた証であろうと小生は考えています。そして、そうしたことに気が付いていても、お寺は黙り続けていたということだったのであろうと思われます。それも、宗門人別制度下では、檀家からキリシタンが発覚したときの、そのお寺の僧侶の最高刑は梟首なのですが、そうした事例を『会津藩家世実紀』に見付けることが出来ません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.15 17:49:19
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