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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:日本の未来
【不思議の国、ニッポン】 1960年代、日本は国際社会の中で大きく変化しました。戦後の復興が加速し、東京オリンピックで日本は戦後から復興したのだと思い込んでしまいました。そして、あの頃から、戦争を体験した方々が少しずつ減り始めました。そして、戦争を体験された方々が減ると、記憶が薄れるだけでなく、戦争に対する考え方も変わってきました。 東日本大震災が起こったとき、東北の太平洋岸では、あちらこちらで孤立し方々がいらっしゃいました。水がない、食べるものがない、寒いと言った声が携帯電話で送られてきていたにもかかわらず、そこへ行く手段がないと、支援できずにいる情況が説明されていました。しかし、上空からヘリで撮った動画がテレビで流されたとき、小生は愕然としました。「あそこへ降りられる方々がいるだろう!」思わずそう声を上げたことを憶えています。人が降りられるのですから、救援物資も降ろせることが出来るのですが、あの時の政府はその方々に支援を依頼することをしませんでした。 習志野にいる陸上自衛隊第一空挺団です。彼らであれば、あの狭い校庭でも降りられます。そして、「早くしろよ!」と思い続けたのですが、高速道路を通行止めにしても、「コンクリートから人へ」と言った人々が、人を助けることを最優先しませんでした。理由は未だに判りませんが、政治的理念を超えて、人の命を救うのが政府であるにもかかわらず、彼らを飛ばせることはありませんでした。そして、政府が変わったら少しは良くなるかと思ったら、今度は歯止めが利かなくなっています。「解釈改憲」という、憲法や法律がまったく規定していないことを言い出し始め、『秘密保護法』という、かつてあった『治安維持法』とも撮れるような法律を作りました。 現在、被災地では入札不調が続出しています。東北の労働力が激減しているのは、東京オリンピックの準備に労働力が動いていることも一因しています。それだけではありません。東北でも建築資材が高騰しています。理由は簡単です。東北へ廻ってくる資材が減少しているからです。そして、災害復興住宅の完成が遅れ続けています。世間では「絆」という言葉が飛び交っていますが、日本という国家内部の絆は断ち切れています。原発事故で、どれくらいの放射性物質が、どれ位の範囲に飛散し、子供たちが浴びる放射線量がどれくらいあり、それが将来、どういう影響をもたらすのかを、原発で発電していた電気を使っていた方たちが考えようとしていません。正に、「不思議の国、ニッポン」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.16 10:33:35
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