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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:日本の未来
【不思議の国、ニッポン】 2007年12月4日、所用で関西へ車で出掛けたときに撮った写真です。所長と二人で行くと、JRで行くよりも安く行くことが出来ます。あの頃は、巨大地震が起きることも、原発が事故を起こすことも、まったく考えていませんでした。ほとんどの日本人はそうだっただろうと思いますが、中には、原発が事故を起こすことを予見していらっしゃった方もいらっしゃいます。理論上は爆発しない原子炉が爆発を起こしたのですから、その方の予見が当たっていたということになります。 しかし、あの頃の新聞やテレビは、原発に関する報道はほとんどしていませんでした。かつては「クリーンな」という言葉が原発に使われていたこともありました。二酸化炭素を排出しないということも宣伝されていました。しかし、壊れることがあるということは、ほとんど知られていませんでした。しかし、機械や道具は経年変化で必ず傷みますし、時として致命的な壊れ方をすることがあります。こうしたことは、理系の方であれば常識的なことであろうと思います。 フクシマの原発事故では、配管も傷んだようですし、全電源喪失が起きました。原子炉冷やしている水だけでなく、その水を冷やす装置がありますが、それらのすべてが全電源喪失で動かなくなりました。そして、多くの技術者が考えたことは、核爆発だったであろうと思います。原発は、冷やし続けることが出来れば、核爆発を起こすことはありませんが、非常用発電器が地下室にあったので、津波による海水で浸水し、取り出すこともできませんでした。 そして起きたのが、水蒸気爆発に続く大きな爆発です。小生は会津キリシタン研究所の机の上に置いてあるディスプレイで、あの動画を見ました。濃い灰色のキノコ雲が立ち上がっていました。皆さんの中には、あれをネット上でご覧になられた方もいらっしゃると思います。そして、「避難する時に、何を持っていこうか」と考え始めました。誰がどう考えても、あの爆発は水蒸気爆発ではありません。水蒸気爆発であれば、白い煙のようなものしかあり得ません。そして、東北道が閉鎖されました。高速道路の画像による道路情報サイトも、「雪は解けたので」という理由で閉鎖されました。まだ3月だったので、「やったな」と思わざるを得ませんでした。国民の命よりも大切なものがある不思議な国、ニッポン。そしてあの頃、会津からかなり遠くまで逃げている、小さなお子さんを連れたご家族がいらっしゃることを知りました。「大正解だな」と呟いたのを憶えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.17 06:38:41
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