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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【東京近郊の「百庚申」】 上の写真は、前述した東京近郊のとあるお寺の本堂を撮った写真です。この本堂は観音堂ですが、この観音堂の裏に小高いところがあって、そこに「庚申」あるいは「青面金剛」などと彫られた石碑や石塔が並べられています。ここを訪ねたのは2007年6月4日でしたが、その後で、このお寺の境内にある他のものもご紹介しています。 その中には、「身代地蔵尊」と書かれた扁額が掲げられている祠に、地蔵菩薩石像がありました。また、そこにも首無し地蔵がありました。また円柱形の石に6体の地蔵菩薩像が彫られた六地蔵もありました。そして、このお寺を訪ねた後、少し離れたところにある別のお寺を訪ねたのですが、そのお寺の墓地には、転切支丹類族の戒名であろうと思われる文字列が彫られた墓石がいくつも残っていました。 この一帯は、関東ローム層上にある台地の東端に近いところで、戦後しばらくして住宅地化が進んでいます。それでも、昭和30年代には、畑や雑木林が続いていたところでした。江戸時代には、江戸から離れた片田舎だったところです。台地の所々に村が点在しているだけでした。そうした風景が描かれている絵地図が残っています。 しかし、神社などに大きな欅の木があるのを見るとかなり気になります。そして、そうした神社の近くにあるお寺の墓地を歩くと、転切支丹類族の戒名と思われる墓石に出会うこともありました。不思議なことです。江戸からそれほど離れていないところにも、転切支丹類族墓石が残っているのですから‥‥‥。ただ、ここでもご紹介しましたが、山手線の内側にあるお寺の墓地でも、転切支丹類族の墓石に出会って、江戸幕府の対キリシタン政策の裏が見えてきました。宗門人別制度は日本を仏教化しようとする意図を持ったものではなく、やはり仏教の解体と再編であったとつくづく痛感させられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.18 20:03:04
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