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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【奥会津の冬景色】 墓地では大きな墓石は頭を出していましたが、江戸時代の小さな墓石は雪に隠れていました。しかし、2011年2月12日にこの墓地を撮った写真では、ほとんどの墓石が雪の中に隠れていました。それでも、この村は『文禄三年蒲生家高目録』(1594)に名前が出ています。ただ、漢字表記は『新編会津風土記』とは異なっています。 それだけではありません。この一帯には非常に不思議なものが残っています。それらはここでもご紹介してきました。そうした不思議なものは、道路脇にあるので、誰もが見ることが出来ますし、その道は新しく自動車道が開削されるまでは、確実にそこが街道であった道です。 保科松平会津藩にとって、非常に不思議なコトがあります。ある時、ある方からそれの関する資料を頂戴して、かなりじっくり読んでみました。実に不思議なことなのですが、宗門人別制度に組み入れられていることは明らかな村に関する記録が全くないのです。それでいて、その資料から転切支丹類族がそうした村々にいたことが明らかになります。 『新編会津風土記』には、廃村になった村々の記録が残っているのですが、何故か、この一帯にある廃村になった村々のことはまったく記されていません。『新編会津風土記』の編纂者は、高遠以来、保科正之公に代々仕えてきた武家の人物です。そうした廃村跡へも、車で入れるところはすべて訪ねてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.19 11:35:44
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