|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那谷の転切支丹本人同前の僧侶】 『高遠町誌 下巻』にある旧高遠町の民俗に関する記述は、非常に興味深いです。読んでいると、様々なことを考えさせられますし、「やはりそうか」は何回も出てきています。日本人が日本語で書いたものは易しくて助かります。学生時代にフッサールという哲学者の翻訳本を読んだ時に比べれば、雲泥の差です。「小堀君、最近フッサールを読んでるんだそうだけど、読んでみて判るかい?」と、ある教授から訪ねられた時、「判りません。1ページ読むのに3日ほどかかります。」とお答えしたら、「よかった、僕も判らないんだ」とおっしゃられたのを憶えています。海軍兵学校卒で、戦後慶應大学で学んだ先生でした。 この写真は、キリシタンの研究のために、最初に伊那谷を訪ねた時に撮った写真です。「直指丹瑞」という転切支丹本人同前の僧侶で、伊那市中心部にある大きなお寺のご住職でしたが、「女犯の罪」で処刑された僧侶です。伊那谷を訪ねる前に、ネット上にこの丹瑞という僧侶のことが書かれているサイトを見付けて、是非訪ねてみたいと思い、駒ヶ根市中沢にある蔵澤寺というお寺を訪ねました。丹瑞はこのお寺の住職であったこともありました。父親が旅商人で、この村に定住したそうですが、キリシタンであることが発覚して処刑されました。 この旅商人と地元の女性が結婚して生まれた子供を、この蔵澤寺の住職が引き取って育て、最終的には伊那市山本町にある常圓寺という大きなお寺の住職になったのが丹瑞です。この墓石は、蔵澤寺の歴代住職の墓石が並んでいるところに建てられていますが、常圓寺ではなく蔵澤寺に建てられていることも不思議に思えたので、2010年7月19日、泊まっていたところから常圓寺はすぐ近くなので、訪ねてみました。大きなお寺で、お寺の裏にある墓地も広かったのですが、そこで気になるものに数多く出会いました。 そして、この丹瑞の墓石が残っている蔵澤寺の墓地にも、気になるものがいくつも残っていました。常圓寺や蔵澤寺の墓地で撮った写真はここでご紹介していますが、伊那市や駒ヶ根市の他のところにも、キリシタンの痕跡が残っています。ただ、この丹瑞の父親はキリシタンだったことは史料に残っているのですが、母親がキリシタンであったかどうかは記されていないようです。父親だけがキリシタンであったとは、残されているモノからすると考えにくいのですが‥‥‥史料も沈黙しているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.20 11:18:43
コメント(0) | コメントを書く |