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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【鶴ヶ城の御三階】 2003年7月9日、鶴ヶ城の石垣を見るためだけに出掛けた時に撮った写真です。案内板を読んで、「再移築」が気になったので、案内所でお伺いしたのですが、再移築の意味を教えていただけませんでした。仕方がないので、手元にある本などを調べたら判りました。 鶴ヶ城の本丸を再建するために、本丸に競輪場を造った時に、文部省(当時)の許可を得て、一時、移設してあったものを、競輪場が本丸の外に移設された時に、ここに戻されたことが判りました。勿論、正確に復元することが、文部省の許可の条件でした。下の3枚の写真は石垣の北面を撮った写真です。「すだれ」の線がきれいに揃っていますから、復元した時には、かなり慎重に工事をしたのであろうと思われます。 ただ、気になるのは、これと同じ石積みの石垣が鶴ヶ城には他にないことです。しかし、本丸の外側の石垣は加藤明成が天守閣を建て直した時に積まれたものがほとんどですから、蒲生氏郷がこの御三階を建てた時には、まったく別の石工が積んだのであろうと思われます。そして、この写真でもお判り頂けるかと思いますが、四角錐の石が左右にずれることを防ぐための部分があります。 ですから、この土台部分の石積みは、穴太衆でも、白河周辺にいた石垣石工でもない石工集団が積んだと考えられます。それで、石垣石工に関する文献を、古書サイトで探して手に入れました。ただ、こうした石垣石工の技術を詳しく解説している文献は、2冊だけしかありませんでしたが、その中にも、こうした石積みは見当たりませんでした。とすると、設計者は日本人ではない可能性が出てきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.22 08:02:10
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