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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【鶴ヶ城の「謎の石段」】 鶴ヶ城の二之丸から本丸に入るところに朱に塗られた橋がありますが、あの橋を渡って本丸に入り、虎口になっているところを歩いていると本丸御殿の北側の土手に、この階段があるのが目に入ってきます。蒲生氏郷が本丸を築いた時には、あの朱に塗られた橋のところが大手門でした。現在は北出丸から入ってくるところが大手門になっていますが、加藤明成が会津藩主だった時に、大手門を移動したからです。 この石段が非常に気になって、この石段を何回も上り下りしながら、考え込んでいたことがありました。その頃にはまだ、この写真に写っている竹垣はありませんでした。そして、この階段を上がって反対側に下りたところは本丸御殿です。ですから、この石段が何故ここに造られたのか、不思議でなりませんでした。 その後、ある本でこの階段を「謎の石段」と呼んでいるのに出会い、またここへ出掛けて、何回も上り下りしながら考え続けていました。まさかとは思ったのですが、ここから本丸御殿に入れば、目の前に「御三階」が見えたはずです。そして何よりも、戊辰戦争の時に西軍はあの朱に塗られた橋を渡って、本丸に入ってくることは出来ませんでした。 そして、それ以前に気が付かされていたことと合わせて考えると、「御三階」で御ミサを挙げるために司祭がここから入った可能性があるということです。キリシタン大名の城に、礼拝堂があるということは、司祭が常駐していて、そこで御ミサが挙げられたということですから、その可能性も十分に高いと考えざるを得ません。おそらく、加藤明成の時代に築かれた二之丸になっている部分に、司祭が常駐していたのであろうと思われます。蒲生氏郷が城主の時代です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.22 11:51:12
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