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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【「会津のキリシタンは面白いですよ」】 キリシタンであるが故に帰農して谷野又右衛門と名乗った人物がいたことは、会津のキリシタンに関心のある方々はよくご存じであろうと思われますが、姓名を変える前は太田小太夫実次という名前でした。この人物は保科正之公の家老です。そして、谷野又右衛門にまつわるコトやモノは、山内強『会津のキリシタン』(個人出版物)に写真と共に説明されています。 あの本を山内強先生が出版された時に、先生から預かってきましたとある方が小生に持ってきて下さいました。あの頃にはまだ、会津のキリシタンの研究をするとは思っていなかったのですが、写真などを丹念に見たのを憶えていますし、現在もここに座っていても手が届くところにあります。 この本に載っているモノを見に行くことが、会津のキリシタンの研究をはじめた時に、最初にしたことなのですが、会津若松市街地からそれぞれのところへ行く途中にも、不思議なモノが残っていて、暗くなり始めて帰って来たこともありました。会津には、そこら中にキリシタンの痕跡が残っているからですが、何故こんなにキリシタンの痕跡が残っているのか不思議でなりませんでした。 それだけではありません。『新編会津風土記』をデータベース化しはじめて、地名にラテン語が隠れていることにも気が付きました。中には、ラテン語をまったくご存じない方でも、その単語はご存じだろうと思える村名もあります。あるいは、入力した平仮名を見て、小さなお子さんでも知っている聖人の名前に似ていることにも気が付いたことがあります。この4枚の写真は、前述の写真に写っているものと同じ墓地にあった墓石です。このお寺がある村の名前は、そのまま日本語で発音しても、アメリカやヨーロッパの人々であれば、その単語を知らない方はいらっしゃらないだろうと思えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.24 15:37:34
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