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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の転切支丹類族墓石】 2010年9月30日、旧高遠藩領内のとあるお寺の墓地で出会った、上部に<○>が彫られている墓石です。墓石が縦に並べられているので、左右の隙間からこの写真を撮りました。勿論、この墓石はとあるお宅の墓域に建てられているのですが、この墓石に気が付く前にそのお宅の姓が合葬墓に彫られているのを見ていました。 転切支丹移住開墾政策は、会津だけのことではないようです。旧高遠藩領内でも、同じことが行われていたようです。この村があるところは、どう考えても江戸時代初期に村が成立していたと思える地形のところではありません。そして、宗門人別制度が施行されて転切支丹類族とされた方の墓石なのであろうと考えられます。 しかし、こうした墓石は旧高遠藩領内では珍しいものではありません。これまでにも、旧高遠藩領内の転切支丹類族の墓石をご紹介してきました。また、不思議な観音菩薩像などもご紹介してきました。あの「アルファ(Α)」と「オメガ(Ω)が彫られている馬頭観音菩薩像などはその典型的なものです。 こうした旧高遠藩領内に残っているキリシタンの痕跡を確認して、『会津藩家世実記』に記されている記録を読んでいくと、会津のキリシタン史がかなり見えてきます。そして、何故、かなり多くのキリシタンの痕跡が会津に残っているのかが不思議に思えたのですが、それも解決することが出来ました。そして、それに関する伝承が必ず残っているはずだと考えていたのですが、ある方がそれを教えてくださいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.25 07:33:02
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