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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の薬師堂】 前述の「子安観音」石仏がお寺の境内にある村から、少し離れたところにこの薬師堂が建てられています。格子の隙間から覗いた限りでは、かなり大きな薬師如来像が祀られていました。村の方に、「薬師堂」があるとお伺いしてここへ来たのですが、しかし、この村のお寺は曹洞宗のお寺です。 ですから、このお堂も村にあるお寺とは関わりなく建てられたのであろうと思われます。不思議なことです。『新編会津風土記』には、この村のお寺は天正年間に開基されたと記されています。それ以降にこの薬師堂が建てられたのでしょうか。それとも、薬師堂が建てられている村に、曹洞宗のお寺が建てられたのでしょうか。 確かに、『新編会津風土記』にはこの薬師堂のことが記されていますが、いつ、誰がこのお堂を建立したかは記されていません。不思議なことです。これだけのお堂が、いつ建てられたのかさえ判っていないということが理解不能です。ただ、勿論、このお堂が建てられた年代を隠した可能性は否定できません。 『新編会津風土記』の編纂者と『会津藩家世実紀』の編纂者は同じ人物です。それも、高遠以来、保科家に仕えて続けてきた家の人物です。そうした意味からも、『新編会津風土記』をじっくり本文批評すると不思議なことが見えてくることがありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.25 11:27:07
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