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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県内のキリシタン】 これも昨日出会った「子安観音」石仏です。これまでに、昨日出会った「子安観音」石仏を2体ご紹介しましたが、もしかすると、これを含めた3体は、同じ石工が同じ頃に彫ったものかもしれません。全体の雰囲気だけでなく、子供の帯の部分がよく似ています。この3体がある場所は、それほど離れていません。むしろ、近いと言う方がいいかもしれません。 石工が依頼を受けて、3ヶ村で順番に彫っていったようにも思えますが、実はここからそれほど遠くないところに、高遠石工が定住しています。このことは、2009年10月16日の讀賣新聞、福島版に出ていましたが、ある方がそれを送って下さいました。そこには、その末裔の石工が明治から昭和の初期に掛けて彫った「飛び狛犬」のことが書かれていましたし、「飛び狛犬」の写真も載っていました。この「飛び狛犬」というのは、後ろ足を高く跳ね上げているところから命名されたようです。 ですから、この一帯にも高遠石工が入ってきていたことは間違いないと考えられます。勿論、会津にも高遠石工が入ってきていますが、高遠石工の名前が彫られている作品はほとんどありません。そして、高遠石工の名前が彫られた作品は、会津のある一帯に集中しているので非常に気になっていたのですが、一昨年の秋にその一帯を訪ねた時に出会った方から貴重なお話をお伺いして、その不思議さが消えました。 会津藩領全域と天領南山御蔵入と中通りの白河から宮城県白石市まで蒲生氏郷の領地だったのですから、福島県内の広範囲にキリシタンが伝わっていても不思議ではありません。そして、あの時代には既に、伊那高遠はキリシタンの拠点になっていました。それを考えると、石工自身がキリシタンであった可能性はかなり高いと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.27 16:29:37
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