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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【福島県内の「切支丹墓碑」】 上の写真は、郡山市堂前にある如宝寺に残っている「切支丹墓碑」です。郡山市教育委員会の説明板にそう記されています。これがキリシタンの墓碑であるかどうかは、議論するまでもないことだと小生は考えているのですが、一昨日、下の写真の墓石を見て、「やはりそういうことだったのか」と考えざるを得ませんでした。 会津にも、こうした「切支丹墓碑」が残っていますが、その地域とこの2ヶ所にある「切支丹墓碑」を、国土地理院の地形図の上に載せると、会津のキリシタン史が非常にはっきりしてきます。会津では、蒲生時代のキリシタンと保科松平時代のキリシタンが共生していることがはっきり見えてきますし、蒲生時代のキリシタンの中には、帰農した時に姓を変えている家々があると考えられるのですが、そうしたことが起こった地域と会津外のキリシタンの間に関係があるように思えるモノが会津に残っています。あれを見付けたときにも、非常に驚きましたし、そこに書かれていることを確認することも出来ました。 会津にお住まいの方で関心のある方は、「いご」を食べる地域と食べない地域の分布をお調べになられると、非常に興味深いことが見えてきますから、是非、やってみて下さい。因みに「いご」というのは、「イゴグサ」という海草から作る蒟蒻状のもので、酢味噌をつけて食べる方が多いのですが、小生はワサビ醤油が好きです。そして、この「いご」を「イゴ」と発音しているか、「ウゴ」と発音しているか、「エゴ」と発音しているかを調べても、また新しいことが見えてくると思います。この「いご」を食べる地域は、北九州から東北の日本海沿岸に分布しています。 余談ですが、会津には身欠き鰊と山椒の葉を漬けたものがあります。東京では食べることは少ないかもしれませんが、会津ではハレの日の食事に、「こづゆ」と一緒に出てきます。「いご」も「こづゆ」も絶妙の味です。所長も、最近は美味しく作ることが出来るようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.28 08:32:14
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