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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「切支丹墓碑」】 この墓石に最初に出会ったのは2004年8月16日でした。とある村の墓地にあったのですが、この村は保科正之公が会津藩主になられてから成立した村です。『新編会津風土記』に載っているこの村の名前からそれが明らかです。そして、この村の入り口付近に神社があるのですが、神社へ上がる階段の登り口に「已待供養」と彫られた石塔が建てられています。(但し、「待」のぎょうにんべんの縦の線がありません。) この墓石、「切支丹墓石」に似ているのですが、前面にも左右の側面にも文字が彫られていたようなのですが、すべて削られてしまっています。この墓地には、小生が「表面破壊墓石」と呼んでいる墓石が他にもありますから、それらと同じ頃に削られたのであろうと思われます。 こうしたことを確定するためにも、とある村を訪ねてみたいのですが、墓地はまだ雪に埋まっているだろうと思います。奥の村を何回も訪ねているので、帰り道に寄っておけばよかったと後悔しています。伊那高遠を訪ねる度に、思い出す村です。『新編会津風土記』に村の成立時期や情況がしるされているのは、ごく一部です。その村に関しても、成立に関することに関しては、『新編会津風土記』は沈黙しています。 今日もいいお天気で暖かくなりそうですが、今日はこの部屋の本棚の本を箱詰めする予定です。かなり苦労して探し出して手に入れた本などが入っている本棚なので、少し丁寧に仕事をしようと思っています。そして、途中で本を読み始めないように、十分に気を付けたいと思っています。「仕事をしろよ!」と所長に言われたくないので‥‥‥ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.28 10:19:12
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