|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「己待供養塔」石塔】 この石塔には「巳待」ではなく「己待」と彫られています。前述の双体仏が墓地にある村の、とあるところにあるのを2005年になって気が付きました。灌木の蔭にあるので、判らなかったのだろうと思います。 この時も「やはりあったか」と思わざるを得ませんでした。こうして考えていくと、「『巳待』は『己侍』」という伝承は、間違いなく事実であろうと考えられます。ただ、この伝承さえ、会津では完璧なまでに潜ってしまっています。 しかし、一体どういう方が「被差別民はお寺に入れてもらえなかったから、仕方なくキリシタンになった」と言い出したのか、非常に気になります。会津には、家紋が六文銭の真田姓のお宅がありますし、武田菱の武田姓のお宅があります。そして、丸に二つ引きの家紋のお宅が多数あります。丸に二つ引きは足利家が朝廷から受けた足利将軍家の家紋で、徳川家も二つ目の家紋として用いていた家紋です。 そして、「巳待」は会津のかなり広範囲に、多数残っています。これもここで数多くご紹介してきました。そして、会津のキリシタンの研究をはじめて16年になりましたが、その間に様々な伝承を耳にしてきました。その中には、根も葉もないものから、非常に重要な伝承もありました。そうした伝承をクリティカルに考える作業をしている時は、疲れますが至福の時でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.28 15:18:53
コメント(0) | コメントを書く |