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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の観音堂の「巳待供養」石塔】 これは、会津のとある観音堂の境内にあった石塔です。「元文三」は1738年です。「寛保元」は1741年です。この時代には既に、こうした石塔が建てられていたということになります。そして、この村は比較的大きな村ですから、もしかすると同じ帰農した武士の家に二つのグループがあったのかもしれません。 この村の方と少しゆっくりお話しすることがあったのですが、そうしたことは話題には上がりませんでした。しかし、この村にも蒲生家の家臣団が帰農していることはほぼ間違いないと考えられます。にもかかわらず、会津でも帰農した武士が蒲生家の家臣であったとか、高遠から来た武士であったということは、まったく聞こえてきません。 もうかなり以前に、とあるところで、そこから見える村の方とお話ししたことがありました。そして、「私の先祖は加藤家の家臣でした」通し得て下さいました。こうした伝承を耳にすることは、会津では非常に珍しいことなので、その時のことを今でも憶えています。 会津史に関して、郷土史研究家の方が書かれた本の中には、非常に重要なことが記されていることもあります。それを、その村の方にお伺いしたのですが、「そうしたことは聞いたことがない」とおっしゃっていました。しかし、会津の一般民衆の中に残っていた習慣の中にも、キリシタンが隠れていることは間違いないと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.29 08:17:19
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