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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の神社の「巳待供養塔」石碑】 これは2006年9月28日に撮った写真です。とある村から少し離れたっところにある神社の入口に建てられていました。「已待供養塔」と彫られています。伊那高遠をキリシタンの研究のために最初に出掛けたのは2007年8月末ですから、この頃は高遠から山形最上経由で会津へ移住した家々に関する伝承はまったく知りませんでした。 このことをもっと早く知っていたら、会津のキリシタン史の全容をもっと早く知ることが出来たであろうと思っています。しかし、「『巳待』は『己侍』」という伝承を知ってからは、それまでに撮った写真のデータベースを検索するだけで、その移住伝承を確認することが出来るようになりました。 一般に、歴史学では伝承はあまり重んじられませんが、しかし、こうした郷土史に関する研究では、伝承なくして議論を深めることは難しいと感じてきました。これだけ長い期間、会津のキリシタンの研究を続けてきましたから、様々な伝承を耳にしたり、会津に関する民俗学的研究書などの記されていることから、読むまでは知らなかった習慣も知ることが出来ました。 ここでも、それと同じようなものを作って写真に撮り、それをご紹介したことがありました。「フクデ」(鏡餅のこと・福手)の上に切り餅を十字の形に載せる習慣など、キリシタンでないはずがありません。しかもその習慣が残っているところには、蒲生氏郷の時代には城があって、キリシタン武将が城代をしていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.29 09:47:12
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