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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「孕み観音」】 「孕み観音」という名称の命名者は所長です。「メタボ」と小生が逝ったら、「膨らんでいる場所が異うだろう!」と言われて、思わず自分のお腹を見たら、確かに異なっていました。それで、この「孕み観音」がある村の近くにある村の墓地に、こうした「孕み観音」が何体も残っていることを納得することが出来ました。 ただし、観音菩薩は孕むことはありません。ですから観音菩薩は出産することもありません。小生は聖母マリアをこうした像に隠したのであろうと考えています。ただし、小生が研究しているのは歴史ですから、聖母マリア信仰に関して神学的議論はしません。それは、キリシタンにとっては、聖母マリアは神の母であったということを見失わなければそれでいいと思っています。自分の神学でキリシタンを見ることはしませんが、天使祝詞を唱えたことは一度もありません。 明らかにしたいのは、会津のキリシタンの現実です。残された史料からだけでは、ほとんど見えてきませんし、残されている転切支丹類族帳に記されていることをデータベース化することはあっても、それを論文の中で議論することも考えていません。ただ、会津で、先祖がキリシタンであったことで今もなお、苦しんでいる方がいるという現実はお伝えしておきたいと思っています。 3月26日の朝日新聞の朝刊にキリシタンに関することが詳しく記されていました。あの長崎の「オラショ」は、学生時代のゼミで聞いたことがあります。あのオラショの中に、日本語があるかどうかを調べて欲しいとアメリカ人の教授に言われて、3人の学生でじっくり聴きました。あのテープをダビングさせて頂けばよかったと、後悔しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.29 11:00:39
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