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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の転切支丹類族墓石】 前述の墓石と同じ墓地にあった墓石です。どちらも「天」年号が彫られています。そして、「禅」が異体字です。こうした「禅」の異体字は、会津藩領内の広範囲で確認できます。 こうした山の中の村まで、キリシタンの宣教師が入って来ていたかと思うと、その意思の強さに激しく感動させられます。小生はここまで車で入りました。宣教師は歩いていたのであろうと思われます。江戸時代に、現在のような広い道路はありませんし、途中まで馬に乗ってきたとしても、江戸時代の路を考えると、いくつもの峠を越えてやって来ていたと思われます。 そしてそうした路の周辺にある村々にも、キリシタンの痕跡が残っています。ただ、「子安観音」石仏などが残っていませんので、そうした判りやすいモノは、消されたのかもしれません。江戸時代のことではなく、明治期になってのことであろうと考えています。保科松平会津藩はキリシタンを弾圧していません。そうした弾圧を示している記録を『会津藩家世実紀』の中に見つけることが出来ません。 そろそろ朝餌を食べたら、町内会の総会へ行く準備をします。今日が最後の御奉公になりますが、ここに住んだ16年がアッという間だったように思えています。これからは、東京分室が会津キリシタン研究所になりますが、時々、お忍びで会津に来ると思います。気になっているところが、まだ残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.30 07:55:29
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