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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【晩秋の墓地にて】 これは、会津のとある山間の村で2009年11月12日に撮った写真ですが、ここを最初に訪ねたのは2000年でした。その時以来、この墓地に多数の五輪塔が並んでいるのが気になっていたのですが、この写真を撮った時に、墓地に建てられている墓誌を読んで、謎が解けました。やはり、保科正之公はキリシタンを弾圧していません。 この事例に気が付いていたので、高遠から山形最上経由で3000人の人々を会津へ連れてこられたのであろうと思われます。しかし、高遠から山形最上経由でそうした人々が会津に移住していることは、会津に残っている史料にはまったく記されていません。しかし、このことが事実であることは、旧高遠藩領内で何回も経験してきました。 そして、蒲生時代のキリシタンと高遠から移住してきた人々が、一つの村の中だけでなく、会津の中で共生してきたことを確認することが出来ました。歴史を研究する時に、史料からだけでは絶対に見えてこないことが、山間の村の墓地に建てられている墓誌から明らかになることがあります。 小生はそうした墓誌も、歴史を明らかにする重要な史料だと考えています。2000年に出会った不思議なことが、2009年になって明らかになりました。この墓誌には建立年月日が彫られていないのですが、彫られている内容からすると、19988年以降に建てられたものであることは間違いありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.31 09:34:40
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