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テーマ:歴史研究(36)
カテゴリ:歴史研究
【科学的であるということ】 この写真を貼って、若松は大雪です!と書いても、会津の方は全員が嘘だとすぐに気が付きます。もう会津盆地では雪はほとんど解けてしまっていますし、若松でこれだけ雪が降ったら、会津盆地の他の所でもそれなりに雪が降らなければなりません。 小生の左側のサイドテーブルに、徳川幕府第二台将軍の徳川秀忠の妻・お江の絵がカバーにある本があります。お江のことが書かれているのですが、カバーの説明には「崇源院肖像」と書かれています。しかし、その絵に描かれているのは、明らかに剃髪している尼僧です。因みに、ウィキペディアの「崇源院」のページには、この絵が載っています。 しかし、何故これが崇源院の絵なのか小生には理解出来ません。お江が亡くなったのは寛永三年(1626)です。しかし、夫の徳川秀忠が亡くなったのは、寛永九年(1632)です。もしこれが崇源院の絵であるとしたら、秀忠の生前からお江は剃髪していたことになります。夫が亡くなる前に、夫人が剃髪したことは考えられません。因みに、保科正之公の母・お静の方は浄光院と呼ばれていますが、お静の方は夫はいませんでしたから、亡くなった時に付けられた戒名の院号で呼ばれています。そして、お静の方が亡くなったのは寛永十二年(1635)ですが、生前に浄光院と呼ばれていたわけではないことが解ります。 もしかすると、この崇源院の絵は、後の時代の画家が想像で描いたものかもしれません。科学的に考えるということは、言い換えれば理詰めで考えるということです。初めから、「こうだったはずだ」とか「そんなはずはない」と考えることをしないことを意味します。そうした考え方で歴史を考えなければ、史実を正確に知ることは出来ません。ただ、あの絵が崇源院の絵だといわれてきたことは確かですが、後の時代に描かれたものであることは間違いないであろうと小生は考えています。お江が剃髪していたことは、江戸時代の習慣から考ええると有り得ないことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.01 07:01:49
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