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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にて】 それまでに訪ねたことがなかった村へ出掛けたのですが、前述の「卍」が彫られた墓石がある村や、宝篋印塔の部品が墓地に残っているむらからそれほど離れていないところでした。2009年4月30日のことです。 上の写真の「子安地蔵」像も、そして、下の写真は、「子安地蔵」像が祀られている祠のすぐ近くに建てられているお堂の正面に祀られている観音菩薩像です。どちらも木像ですが、実に不思議に思えてならないことがあります。それは、この一帯も「太子守宗」から真宗高田派に転宗していることです。親鸞系の宗旨で地蔵菩薩や観音菩薩を祀ることは、小生には考えられません。つまり、このどちらの像も檀那寺とは関わりなく祀られたのであろうと考えられます。 最近は浄土真宗本願寺派のお寺が、観音菩薩の頃が書かれている冊子を配布することがあるようですが、戦前よりも以前にそうしたことが行われていたとは思えませんし、現在でもそうしたことをしない親鸞系のお寺は少なくないと思います。 しかし、こうしたケースは、ここで数多くご紹介してきました。東京金甌にある臨済宗のお寺の本堂が観音堂というところもご紹介しました。これなどは、無教会派の集会室の正面に聖母マリア像が祀られているようなものだと小生は理解しています。あり得ないことです。かと言って、下の観音菩薩像をご覧になって、キリシタンが仏教と集合したわけではありません。彼らは宗門院別制度に組み込まれながらも、こうした像をお参りし続けていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.02 13:41:51
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