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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な「石仏」】 これは2012年11月21日に撮った写真ですが、この「石仏」に最初に出会ったのは1998年でした。会津のとある村の神社のお社の裏にありました。それで、何回か出掛けて、もう一度写真を撮ろうとしたのですが、小生が憶えていた場所にはありませんでした。 この日も、見当たらないので諦めて帰ろうとしたら、神社が見えたので、何気なく上がっていったら境内にこれがありました。皆さんはこれをどうお考えになられるでしょうか。「石仏」と「」付きで書いているのは、どう考えても仏像には見えないからです。また、神社の境内にあるからといって、これが神道の像だとは思えません。基本的に、神道では神像を祀りません。 そして、ここへ来る道沿いの村々や、ここから奥の村々にも「子安観音」石仏が道路脇に祀られています。また残されている石仏の中には、実に奇妙な石仏があります。それに出会ったのも、この「石仏」に最初に出会った日でした。キリシタンの研究のためにフィールドワークに出掛けるようになった頃ですから、こうした不思議な「石仏」の意味がまだ判りませんでした。 会津にある舟形光背に浮き彫りにされた石仏で、蒲生時代や加藤時代のものに出会ったことがありません。墓石には古い年号が彫られているものがありますが、その型式や風化程度から、それほど古いものではないと考えられます。つまり、こうした石仏が彫られたのは、保科正之公が会津藩主になられてからだということになります。そしてこの「石仏」に彫られている像の被りものは極めて珍しいもので、着衣も日本のものであるとは思えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.03 06:56:38
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