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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の驚愕させられた墓石】 驚愕させられたのはこの墓石に彫られた戒名の、先頭の文字です。先頭の文字は「示」に濁点があり、右側に「ロニも」と彫られています。そしてその下には、「十」が二つ並べられていて、その下に「侍」と彫られています。 右側には「延享二丑年」と彫られています。1745年です。保科松平家が会津藩主の時です。この時にはまだ、「ジロニモ」という教名が付けられていた子供がいたということになります。それも、帰農した武士の家の子供だったと考えられます。 新潟県阿賀町にも、高遠から山形最上経由で移住してきた家々があるように思えます。山形最上からの移住伝承が記されている個所が、『新編会津風土記』に一ヶ所だけあるのですが、その移住してきた家の姓と同じ姓だけで構成されている村があります。そして、その村の墓地に残っているモノをここでご紹介したことがありました。 また、前述した双体仏や三体仏が墓地に残っている村に、どういう家があるかを村の方からお伺いしたのですが、あの村はこの一帯にある村々の中心的な村だったようです。伊那高遠から山形最上経由で会津に入って来た家々の中には、ある村の肝煎になっていた家もあります。小生がよく存じ上げている方のお宅でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.03 10:06:44
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