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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の小さな墓石】 2009年5月6日、会津藩領内のとある地域を訪ねました。フィールドワークの記録からすると、桜がきれいな墓地があるので、それを見に出掛けた時に、また別の村にあるお寺の境内で、八重桜が満開になっていました。下の写真はその時に撮った写真ですが、小さな墓石です。参道の階段の脇に置かれていました。彫られている文字列からすると、一般的な大きさの墓石が半分にされたのではなく、初めからこの大きさの墓石が彫られたようです。 この大きさの墓石がどういう意味を持っているか、中学や高校の歴史教科書には載っていません。ですから、多くの方々がその意味をご存知ありません。しかし、会津でフィールドワークに出掛けていると、この大きさの墓石に出会うことがあります。ここには1基しかありませんでしたが、墓地にこの大きさの墓石が並んでいるところもあります。その中の墓石の写真をここでもご紹介したことがありました。 宗門人別制度の中で、この大きさの墓石しか建てられない規定が幕府によって定められていたようです。そして、こうした半分の大きさの墓石がいくつも残っている墓地は、ここでもご紹介したことのある、小高いところに建てられている「子安観音」堂の麓でした。 こうしたことは、歴史に関する本にはほとんど記されていませんが、伊那高遠でも出会ったことがありましたが、会津でも何ヶ所かの墓地で出会っています。そして、小生が出会った限りでは、すべて会津藩領内にある村の墓地でした。小生をキリシタン研究に引き留めているのは、こうしたモノが残っているという事実です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.04 08:17:26
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