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カテゴリ:キリシタン
【会津の小さな墓石】 「武士は曹洞宗か真言宗、農民は浄土宗、被差別民は浄土真宗」ということを聞かされたことがありました。本当に困ったものです。徳川将軍家の菩提寺は寛永寺と増上寺です。寛永寺は東叡山という山号が示すとおり天台宗のお寺です。天海が建てたお寺です。そして、増上寺は浄土宗のお寺です。代々の将軍で日光に祀られたのは家康と家光だけで、他の将軍は増上寺か寛永寺に葬られています。 増上寺の墓地には将軍の墓と正妻の墓がありましたが、空襲で激しくいたんでいましたが、戦後あの一帯を整備する時に、一旦発掘されてから新しく整備されています。この時の調査結果が、鈴木尚著『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』(東京大学出版会、1985,東京)にかなり詳しく記されています。特に、徳川秀忠に関しては、非常に興味深いことが記されていますから、是非、ご一読下さい。 宗門人別制度では、原則として宗旨やお寺を選ぶことは出来ませんでした。ただ、以前からそのお寺の大旦那として関係を持っていた場合は、そのお寺の檀家になることが出来ました。ごく稀なケースで、『会津藩家世実紀』にはそうしたことがあったという記録を見付けることが出来ません。 これは宗門人別制度上のことですから、会津は特例だったというためには、それなりの証拠がなければなりませんが、そうした文書が残っている可能性は、『新編会津風土記』にそうしたことが文書のことが記されていませんから、非常に低いとしかいいようがありません。それにしても、この写真の小さな墓石が気になって仕方がありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.04 09:41:58
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