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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「己待供養」塔】 前述の地蔵堂の裏に建てられていた、「己待供養」と彫られた石塔です。側面に「寛政七卯年」と彫られています。1789年ですから、ロシア船が通称を求めて国後島に来てから11年目で、正に江戸時代の後期です。そして、丁度40年前の寛延二年には、会津で「寛延一揆」が起きています。 この一揆は、現在の社会倫理からしたら当然のことが起きたと言わざるを得ません。年貢徴収の実務者の不正に対する上訴です。ですから、会津藩内でも鎮圧派と受容派に分かれていました。保科正之公の時代であれば、即断即決でその実務者の処罰が決まったであろうと小生は考えています。 そして、非常に興味深いのは、あの一揆が通ったルートです。関心のある方は、会津若松市立図書館(稽古堂)に参考資料などがありますから、あの一揆が通ったルートを調べて、そこを巡ってみて下さい。小生は既にあのルートを少し丹念に巡っていたので、非常に興味深いことに気が付かされました。 月曜日に東京で仕事があるので、明日から上京します。火曜日にいったん会津へ帰ってきて、15日に荷物を業者の方が運び出してくださることになっています。お城の桜を見ることが出来るかどうか解りません。今夜は冷たい風が吹き荒れています。最近は、夜8時を過ぎると睡魔が襲ってきます。今夜も、データをもう少し見たら、寝ようと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.04 20:14:16
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