|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「青面金剛」石仏と「子安観音」石像】 この「青面金剛」石仏と「子安観音」石像はこれまでにもご紹介したことがありますが、どちらも同じお寺の境内にあります。但し、下の「子安観音」石像は墓地の個人のお宅の墓域にあります。この二つに最初に出会ったのは1998年でした。 この「子安観音」石像にも乳房が彫られています。それで、非常に気になっていたのですが、二回目にここを訪ねた時に、この石像が最近までどこに、どのようにして残っていたかをお伺いすることが出来ました。それをお伺いして、これがどのような意味を持った像であるかを知ることが出来ましたし、今は、それが会津のキリシタンの歴史なのだと痛感しています。 福島県では明治になってキリスト教が解禁されても、キリスト教の集会が不許可になったことがありました。これに関する記録が福島県立図書館に残っているそうです。日本では、明治期になっても信教の自由はかなり制約されていました。ですから、江戸時代には「公然と隠れていたキリシタン」が明治期になって潜り、軍国主義が謳歌していた時代には、「敵性宗教」とさえ言われていたわけです。今でも、キリスト教は外国の宗教で、仏教は日本の宗教だと思っている方が少なくありません。 しかし、仏教はインドのガンジス川流域で始まったものが、中国を経て、日本に入って来た宗教です。しかも、長い間、一般民衆は仏教に接することが許可されていませんでした。『令義解』という養老律令の施行細則にある、「僧尼令」で仏僧が一般民衆と接することが禁止されています。そして、この頃の仏教は学問仏教で、お寺は仏教の教えを学ぶ場でした。飛鳥の法隆寺には、それをはっきりと示している建物が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.06 07:15:29
コメント(0) | コメントを書く |