|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「子安観音」堂】 2007年11月15日、会津のとある一帯のとある場所を何ヶ所も訪ねてみたくて出掛けた時に、それまで通ったことのない村の中へ通じる道に入ったらこのお堂がありました。そして、扉を開けると、「子安観世音」という文字が目に入ったので、厨子を見たらこの2体の像が祀られていました。 右側の像は弥陀定印という印を結んでいますから、阿弥陀如来像であろうと思われます。しかし、この一帯には曹洞宗のお寺しかありませんから、お寺とは関わりなく祀られたものであろうと思われます。そして、何故農村に阿弥陀如来像があったのかは、鎌倉時代の仏教を考えると、すぐに判ります。帰農した武士です。鎌倉時代には、武士の間に阿弥陀如来信仰が広がっていました。「死」をどのように考えるかがはっきりしているからです。それで、鎌倉時代以降、かなりの数の阿弥陀如来像が彫られ、小さな阿弥陀如来像を鎧や冑の内側に縫いつけていました。阿弥陀如来にも、そうした小さな像が残っているところがあります。 しかし、その時代の阿弥陀如来信仰は、宗門人別制度のように組織化されたものではなく、それぞれの集団の中で形成され、継承されていたようです。ですから、この村にも帰農した武士の家々があって、こうした像が継承されていたのであろうと考えられます。 阿弥陀如来像が祀られたお堂が村の中に建てられていることは、会津の他のところにもあります。ある村のお堂には「阿弥陀堂」と書かれていましたが、そうしたお堂は、このお堂と同じように、国土地理院の地形図に「卍」が記されていません。会津ではそうしたお堂は阿弥陀堂だけではありません。観音堂が記されていないケースもあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.06 14:43:02
コメント(0) | コメントを書く |