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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にて】 会津にとあるモノが残っているのですが、あるところからそれが現在ある場所に運ばれてきたことは判っているのですが、以前にあったその場所を確定したくて、2006年に12月19日に出掛けました。「まだ雪は対して積もっていない」と思えたからです。潜っている伝承を検証する作業でもありました。 キリシタンに関する伝承は、そのほとんどが潜ってしまっています。ですから、それを探り出すためには、フィールドワークしかありません。会津史に関する史料には記されていないことでも、そこに非常に重要な事実が隠れているからです。そして、この日は「やはりここしかない」と思える場所を見付けることが出来ました。 日本の一般的な習慣の中に、神社やお寺、あるいは祠のある方向を向いてお参りすることがあります。あるモノが祀られているところが見えれば最高ですし、見えなくともその場所が判れば、そちらを向いてお参りすることが出来ます。ヨーロッパの教会の中に、エルサレムを向いて礼拝できるように建てられているところがあることもそれと同じです。 もうかなり以前ですが、朝早く、東京近郊で、家の前の道を掃除して水を撒いた後、道路沿いにこちらを向いて合掌されている方がいらっしゃったので、反対側を見たら、そこに神社がありました。年配のご婦人でした。コンスタンチノープルにあるイスラム教のモスクは、古い時代にはキリスト教の礼拝堂だったのですが、その向きを衛星写真で解析したら、正確にエルサレムを向いていることが明らかになったとテレビで放映されていました。しかし、その建物が建てられた時代に、何故、正確にそうした方位を決定できたのか、まったく判らないそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.07 06:32:16
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